僕が手塚賞で誌面デビューしたのが15年前の6月。
その作品をせっせと描いていたのが、3月(月末〆切)でした。
というわけで、マンガの世界に身をおいて早いもので丸15年になります。
たまにはちょっと真面目なことを書いてみますね。
長文ですが、おつきあいいただけたら幸いです。
僕は東京出身なんですが、思春期ど真ん中11才から19才までの間過ごした土地は、千葉県佐倉市というところです。
今はその佐倉市から僕も家族も離れて暮らし、当時の友人たちともつながりが薄くなっていました。
なんせ20年近く経っているので、しょうがないかなと思っていたんです。
それがここ数年になって、佐倉市時代の友人関係が急速に戻りつつあります。
きっかけは3年ほど前のこと。
中学時代の担任の先生の還暦祝いを兼ねた同窓会があったんです。
同窓会といっても、その会は「陸上部」のもの。
僕は当時水泳部だったし、そもそも顔を出したのも数回の幽霊部員。
走って帰宅してアニメの再放送を見るのが一番の楽しみだったほどのオタク小僧でした(当時はオタクって言葉もなかったですが)。
当然、陸上部の同窓会に呼ばれるはずもない間柄なんですが、妹が陸上部だったことから「便乗して付いて行っちゃおうか、お祝いごとだし!」とムリヤリ同行したんです。
(先生もさすがに「ん、誰・・・いたっけ?」という顔でしたね(;´∀`)
この日のこと、記事にしていました)
この時に再会した同級生たちと意気投合して今度はクラス会を開くようになり、その後繰り返し同窓会を開く度に少しづつメンバーが増えていって、ついには先月、総勢100名をこす学年全体の同窓会にまで輪が広がりました。
以来、SNSツールで同級生たちと毎日のようにやり取りをしています。
この関係、懐かしさにプラスしたなにかまた別の、新しい友人の形のような気がして、すごく楽しんでいます。
前置きが長くなってしまいました(まだ本題じゃないのかよ!)
再会した友人の中のひとり、Mさんのお話です。
彼女とは同じクラスになったことはあれど、ほぼ話したこともない仲でした(いや、女子全般ですけど)。
それでも同窓会という場では、話したことなかろーが、二十数年ぶりだろーが
「あー、ひさしぶり!」と不思議と挨拶できるもので。
Mさんとも、そんな軽い感じでご挨拶して一言二言の会話でその日はお別れしました。
すると後日、Mさんから連絡が。
「小2になる息子が和ん田~さんを読んでるよ!」という旨の内容でした。
同窓会のあとになって、なにやら田辺はマンガ家やってるらしいと聞き、
しかもたまたま買って家にあった最強ジャンプに田辺の名前がある、と。
そんな奇跡のような確率の出来事があったことを、興奮気味に報告してくれました。
息子くんは、暗記するほど何度も繰り返し読んで、笑ってくれているそうです。
いつかそんなことがあるかもなとは思っていたことですが、いざ目の当たりにすると、喜びよりも驚きが先でした。
僕がマンガを描くときに大事にしているのは「自分が描きたいこと」と同じ分量で「読者に喜んでもらえるにはどうしたらいいか」
でも、たまに迷う時もあります。
今描いているものが、自分が楽しんでもらいたいと思っている読者にちゃんと届いているのか。
こればっかりは答えが出ないので、ひたすら自分の勘と経験を信じて描くのみです。
だから、後日アンケートやファンレターなどをいただく時は、本当に報われた思いでいっぱいになります。
今回、同級生の息子くんに楽しんでいただけていたことを知り、これまでどこかぼやけていた読者の形がはっきりと見えた気がします。
大きな大きな勇気をもらえました。信じてきて良かった。
本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
自分の成功を喜んでくれる両親はもう他界してしまい、たまにへこたれそうになる時もあります。
もう二度と訪れることもないと思っていた故郷。
関係の途切れていた友人たち。
ほんのちょっとの偶然が積み重なって、大きな支柱となって、
今では僕を支える力強い味方になってくれています。
ちょっと大げさですが、自分の生きる理由というか、役割というか、
デビューから丸15年経って、ようやくそのようなものを感じることができた出来事でした。
Mさんの息子くんをはじめとして、多くのみなさんに楽しんでもらえるよう
この体が果てるまで、新しいマンガの創作に励んでいきます。
ずっと応援してくださっているみなさん
わりと最近知ってくださったみなさん
こんな僕ですが今後とも何卒、ヨロシク( * )>ω・)ケツペロ☆